写真は複製可能か。変わる写真家──中平卓馬 火|氾濫──東京国立近代美術館

出力するメディアに応じて写真の見せ方を変えること。写真やカメラに対するだけでなく、かたちとなる先のメディウム・スペシフィシティを重んじることが中平卓馬の強度であり、それを展覧してくれているのがよい。

 

〈日常〉1997

・展示プリント

2枚1組で見せ始めた頃という。97年の展示用プリントは余白が黒焼きされている。

 〈日常〉、中平元氏蔵

・パンフレット

冊子では白の余白。蛇腹式で1面に1枚としつつ、隣り合う2枚を1組として、細い黒枠で囲っている。

『日常―中平卓馬の現在―』展覧会パンフレット、個人蔵
 
〈デカラージュ〉1976

・展示プリント

ギャラリーの角を床から天井まで撮影し、平面化。

〈デカラージュ〉、中平元氏蔵

・展示空間

平面化したものを撮影箇所の横に掲示。角の表面を複製し、空間と平面、現物と複製を並置して比較。デカラージュはズレの意。

「デカラージュ」、個人蔵
 
〈氾濫〉(1974)

・展示プリント

1971年前後から雑誌に発表していた写真を組み合わせた展示用プリント。48点が隙間なく並び一つの塊として提示される。パネルの厚みもあるので彫刻物のような印象。

〈氾濫〉、東京国立近代美術館

・雑誌

白の余白、または余白なし。凸凹とした配置ではなく、紙面のフレームに応じて並ぶ。

左:「都市・陥穽 」『アサヒカメラ』、個人蔵 
右:「植物図鑑」『季刊デザイン』2号、個人蔵

 

サーキュレーション―日付、場所、行為〉1971

・展示空間

第7回パリ青年ビエンナーレ出品。展示のためにパリに赴き、そこで過ごした時空間を記録する。1日の内に撮影、現像、展示を行い、展示写真を追加していった。中平が見たものだけでなく、彼の行為自体が記録の対象となる(なので他の人が撮影した中平が写った写真もある)。現像作業も含めた写真の即時性。

サーキュレーション―日付、場所、行為〉、東京国立近代美術館

 

〈夜〉1969

・展示プリント

第6回パリ青年ビエンナーレ出品。コミッショナー東野芳明に絵画のように見せたくないと伝え、グレースケールを含むグラビア印刷プリントを出品。絵画との差異、写真の複製性を強調。

〈夜〉、東京国立近代美術館

 

これらのように、展示において写真をどのように見せるか、に対する中平の姿勢が窺えてよかった。

中平は変わることを信条にしていて、1974年8月30日の講演では世界や他者との出会いによって常に自己を変革していくことを謳い、プロヴォーク期の写真を再び撮ることを嫌がった *1。1972年の冬に「なぜ、植物図鑑か」を書いてから2年と経たない同講演では、「植物図鑑みたいな写真を撮るのは無理」と言っている *2。1970年1月の座談会においても、木村恒久石子順造らとの議論で変わることについて触れ、先行して言葉で表明することで変わる場が立ち現れるとしている *3。

〈夜〉で写真の複製性を強調してみせた中平は、2年後にはもう展示写真を行為と関連づけ、複製不可能な写真作品として、その時の中平によってのみしか制作しえない〈サーキュレーション―日付、場所、行為〉を展開する。

東松照明の模倣から始まったブレた白黒写真は、晩年にはピントのあったカラー写真へと変化する。中平卓馬という写真家は、変わり続けるという一貫性を体現している。

 

ところで写真は複製可能であるとして、展覧会用の大判写真が実際に複製されることは稀である。その稀な例として、この展覧会では〈氾濫〉や〈サーキュレーション―日付、場所、行為〉などにおいて、再制作したプリントを用いた展示再現を行っている。

それにより強調されるのは、複製物の固有性である。〈夜〉において担保されていた、1つのネガから無数の印刷物を生成する複製性は、ネガの劣化に伴い、時を経るごとにクローンの精度を弱める。複製物はオリジナルとの差異を己に固有な箇所とし、その度合いに応じて複製の質を計られ、識別される。

本展における、現実空間の複製ともいえる写真(パリ、1971)、を複製した写真の展示(シカゴ、2017)、の再展示(東京、2024)、は複製と再演の間で、写真における「複製」という言葉が持つ意味合いのグラデーション内を鑑賞者に彷徨わせる。

私たちは展覧会においてなお、写真のネガを見ることはない。展示プリント、雑誌等の印刷物、展示空間の再現という、複製性の濃淡を行き来する、よい写真展だった。

〈氾濫〉、東京国立近代美術館 左:1974年製作 右:2018年製作

 

 

*1 「ああいったぼくの昔の写真ならもういくらでも撮れるんですよ。例えば、一部分だけれども評価された写真というのはあるわけで、それはいつでも、今からでもカメラ貸してくれれば三時間以内に撮れる。で、そういったことの繰り返しが僕はいやだ。」  『Workshop』2号、ワークショップ写真学校、1974年

*2 「〈なぜいまさら植物図鑑なのか〉というタイトルなんですけど、もうこれについては、二年ぐらい前の話で、いまでは大分意見も変わってるんで、あまりしゃべりたくない。あれはまあ僕自身の一つの認識論であって、あれをそのまま写真に適用するといったって、どだい無理な話で、つまり世界はそうなんだろうっていう風に大ざっばにいってみたにすぎない。あの通りに写真撮るということは、まったく無理って風に思う。」  『Workshop』2号、ワークショップ写真学校、1974年

*3 「そう、変えるにかけなきゃだめだよ。そんなに変えるというと絶対につぶしにかかるから、そのときにためされる。そこしかない、重要なのは。つまりことばによって物質を現出せしめるんだよ。」  『季刊写真映像』4号、写真評論社、1970年